ある日、母から知らされた突然の訃報…
「床屋のお兄ちゃん、亡くなってしまった。」
一瞬、耳を疑いました。あの、穏やかでよくしゃべる、ラーメン好きなお兄ちゃんが?
信じられず、僕の中にポッカリと穴を開けました。約20年以上、髪を切ってもらっていた床屋。子どもの頃から大人になった今まで、僕の節目節目を知ってくれていた方です。
今回は、そんな「床屋のお兄ちゃん」のことを、少し綴ってみようと思います。
小さな頃からの当たり前の床屋さん


僕が伊勢市に引っ越してきたのは、4歳の頃。正直、あまりしっかりと記憶をしている訳ではありませんが、小さな頃から近所の床屋さんに通うのが習慣でした。
最初は、おばちゃんが担当してくれていて、高校生の頃からだったか息子さんである「お兄ちゃん」に代わりました。大学は愛知に進学していましたが、帰省の度に床屋に立ち寄っては、髪を整えてもらっていました。三重県に帰ってきてからも、ずっとお世話になっていました。
別に派手な会話があるわけじゃない。でも、どこか安心感がある。帰ってきたなぁ、という感じがする。そんな憩いの場でした。
あそこ行ってきた?ラーメンや神社など、何気ない会話


床屋のお兄ちゃんは、気さくで話しやすい人でした。
特に共通の好物であるラーメンの話ではよく盛り上がりました。例えば、多気町にできた鶏白湯ラーメンの店を「麺や 勁草」を教えてもらったのもお兄ちゃんからでしたし、松阪市にできた新しいお店の話題など、よく情報交換をしていました。
そういえば、ある日「出雲大社に行ってきたんさ」と話してくれたり、安乗神社のお守りを教えたら、後日「息子と行ってきたわ」と話してくれたり。お兄ちゃんって神社巡りが趣味だったっけ。あの時は、ちょっと意外に思いましたが、今思い返すと何か思うところがあったのかもしれません。
「髪を伸ばしていこうかな」と言ったあの日がさいごに


最後に髪を切ってもらった時、僕は少し伸ばしていく髪型に調整してもらいました。
「どうする?」
「結構、長くなってきたから、結べるくらいまで伸ばしてみようかな。」
「ええやんか、じゃあここは残しとこか。」
そんな会話を交わしながら、お兄ちゃんは丁寧にハサミを入れてくれました。その時、何となく顔色が良くないな、と思いましたが、特に話題にはしませんでした。
次回は伸びた髪を整えてもらおうと思っていましたが、それは叶いませんでした。
日常の中にある人と人の繋がり


床屋のお兄ちゃんが亡くなってから約1年が経ちました。今は友人の美容師に髪を切ってもらっています。髪はだいぶ伸びてきて、髪を整えてもらう度にお兄ちゃんを思い出します。当たり前ですが小さい頃からお世話になっていた人たちは、いつの間にか会えなくなってしまいます。ただ、わかっているつもりでも、いざそうなるとぽっかり心に穴が空きますね。
当たり前をもっと大切にしたい


長く通っていた床屋のお兄ちゃんに突然会えなくなるなんて、正直想像していませんでした。けれど、人はいつかいなくなります。だからこそ、目の前にいる人との関係を大切にしたいなと思います。
当記事でお兄ちゃんとの思い出を振り返ることで、改めて大切にしなきゃいけない在り方に触れられました。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。