今年の夏、友人と訪れた沖縄。旅の記憶がまだ鮮明に残る中で、偶然SNSで目にしたのが映画『宝島』でした。戦後の沖縄を描いた作品と知り、「これは観なければ」と背中を押されて、イオン明和の109シネマズへ足を運びました。スクリーンに映し出された光景は、観光で目にした沖縄の景色を、少し違った色に見せてくれました。
映画「宝島」が描いていたもの


作品の舞台は、戦争が終わった直後の沖縄。米軍統治下にあった時代を背景に、当時の事件や人々の暮らしが描かれています。
「平和」という言葉が劇中で何度か登場しますが、その重みが胸に迫ってきました。誰が悪者で、誰が正義か。単純な図式ではなく、アメリカ軍、沖縄の人々、本土の人々、それぞれの立場や苦悩が映し出されています。
印象的だったのは、決して学生時代に触れた歴史の教科書のように語られるのではなく、登場人物たちのそれぞれの人生を通して物語が進んでいくこと。だからこそ、重たいテーマでありながらも、各人物に感情移入しながら自分ごとのように感じられました。
心が揺れた瞬間


3時間という長編でしたが、時間の長さを忘れるほど引き込まれました。
1970年12月、沖縄県コザ市で起こったコザ暴動を描いたシーンでは、沖縄の町が一斉にざわめき、沸き立つ瞬間が描かれていて、畏怖を感じながらも高揚感がスクリーン越しに伝わってきました。「たぎる」という表現がぴったりで、鑑賞している自分まで鼓動が早くなるような感覚がありました。
一方で、米軍基地を背景にしたシーンや、暴動に至る過程を描いた場面では、胸が詰まるような思いもありました。アメリカ軍を「敵」とするだけでなく、正当化はできないまでも一人ひとりの兵士もまた、ベトナム戦争や様々な要因で心をすり減らしていたことが伝わってくる。単純な善悪では語れない人間模様に、考えさせられるシーンでした。
観光で触れた沖縄での時間と重ねながら


映画を観ながら、つい数ヶ月前に訪れた沖縄の風景が頭をよぎりました。
基地の近くを車で通ったときに見かけた米軍車両。アメリカ文化が根付いた食べ物や店。観光地として楽しませてもらった場所にも、こうした時代の記憶が折り重なっているのだと思うと、沖縄の景色の見え方が少し変わった気がしました。個人的には観光による経済振興は良いことだと思いつつも、まだまだ理解できていない部分が多いと感じました。
タイトル「宝島」に込められたもの
映画を観始めてすぐに、タイトルの「宝島」とは一体何を意味するのだろう、疑問に思っていました。
映画を観終わるとおそらくそういうことか、と理解できる場面はあります。最終的な私なりの解釈としては、それは「平和」そのものなのではないかと思いました。戦争や統治の時代を経て、ようやく手にした今の暮らし。観光で訪れる私たちが「海がきれいだな」と感じられる日常。人種を越えた今の当たり前が、当時の人々から見れば宝物のような未来だったのではないでしょうか。
映画「宝島」で学ぶ、知ることの大切さ
「宝島」を観て強く感じたのは、「知ることの大切さ」です。観光地として沖縄を楽しむことは悪い事ではありません。ただ、今に至る歴史を知ることで、見える景色は変わります。先人の苦しみや願いの積み重ねの上に、今の沖縄があるのだと思いました。映画館を出たとき、少し重たい気持ちを抱えながらも、不思議と「もっと沖縄を知りたい」という前向きな気持ちになりました。
まだ映画「宝島」を観ていない方、上映が終了する前にぜひ映画館へ。僕は機会を見つけて、原作の小説を読んでみたいなと思っています。